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あの時の鰻 2024.3.28

 いきなりですが、この年齢になると回りに退職をする方が増えて来ます。

 私が社会人をスタートさせて頂いた戸田建設さんでも、年齢の近い上司だった方々が退職されたと言う連絡が届くようになりました。
 まあ、それは当たり前ですよね。

 さて、過日はその中でも特に濃いご指導を頂いた上司が退職されることになり、ありがたいことにその送別会に呼んで頂きました。
 この上司には、「営業イロハ」の「イ」の字も知らない私に、一から営業を教えてくれた方です。
 私は、当時お得意先を持たせて頂かなかったので、来る日も、来る日も飛び込み営業です。

 飛び込み営業は、こんな私であっても体力的にも精神的にも結構堪えました。

 何十億、何百億のお仕事を、飛び込み営業に任せて頂ける可能性はほんのわずかです。
 それを愚痴るようなことを言おうと、「であれば、頭を使え!!」とこの上司に言われていました。

 例えば、100坪と100坪の古いテナントビルが並んでいる。この双方のビルのオーナーを訪ね、今より収入を多くする提案をする。この提案は、双方のビルを解体しそれぞれの権利を区分しながら新しく共同ビルをつくり、現在より広いテナントスペースを確保すると、現在よりテナント料収入が2.5倍になります。

 と、「こんな提案をするんだ!!」「そしたら、心が動くお客さんも中にはいるかも知れないだろ!!」。

 あとは、巷によくある「建築計画のお知らせ」の看板。

 我々営業は、これを「お知らせ看板」と呼んでいましたが、その看板の施工者欄に「未定」と書かれていたら、直ぐにそのお客さんか設計事務所に飛び込み営業を掛けるということも教えて貰いました。

 私の人生初受注も、この「お知らせ看板」から結びついた新宿歌舞伎町の物件でした。

 初受注後に、この上司からご褒美がありました。契約日には「竹葉亭」の鰻で、地鎮祭後には「三州屋」のブリ照りをご馳走してくれたのです。

 過日の送別会でもそんな話になったのですが、その上司が、「そう言えば飯島よ!」「あの時、三州屋のブリは経費で直ぐ通ったが、竹葉亭の鰻は、上が認められなくて苦労したぞ!!」と。

 たしかにあの竹葉亭の鰻は、2段重ね鰻重で、当時でも一人5千円以上はしたと思います。
 それを当時の営業部主任が経費決裁願を通すのは厳しかったと思います。(笑)

 でも、あの時の鰻、あれから30年以上経ちましたが、あれを越える鰻には未だ出会っていません。

 Sさん、退職おめでとうございます。
 ありがとうございました。
 今度は、私があの鰻を奢りますね。

 以上です。

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