我が国では、昨日非常事態宣言が全ての都道府県で解除されました。前倒しでの解除は真面目な国民の努力の賜物だと思います。
さて、ここでいきなりですが、私が物心ついてから、聞き覚えがある中で、AIDSにSARSそしてMERSと、大変な疫病は発生しましたが、この度の新型コロナウィルスほど世界中を巻き込み震撼させたとは言えないと思います。従って、既に多くの人が述べていますが、我々は、今回の新型コロナウィルス禍対策では、初めての経験をしている最中と言えます。
繰り返しますが、今回のコロナ禍は誰も経験したことがありませんから、当然のことながらどんなに偉い学者さんでもあっても、見識者であっても、残念ながら解決の答えを持っていませんよね。
「答えの無い大きな課題との直面」
このテーマで、まず初めに頭に浮かぶのは、学校の勉強です。学校で習う勉強には必ず答えがあります。あの東京大学であっても答えの無い問題を出すことはありません。従って、我が国の教育においては、常に正しい答えを求めることが主ですから、必ず答えのある問題には、それがどんなに難しくてもその答えを導き出して行くことには、皆慣れていると思います。
しかし、答えの無い問題や課題に対してはどうか?
身近なことで言うと、例えば「恋愛」とか。「恋愛」には答えがありません。好きだと言う、愛していると言う切ない思いや抑えきれない感情を相手に伝え、且つ、その思いを寄せる人に受け入れてもらわなければ成就はありません。努力が報われない代表みたいなのが「恋愛」です。ですから、ともすれば、答えが必ずある世界で大半を過ごして来た世代は、こんな、答えが曖昧で、成就する保証もないようなことにはかなり不得意なので、抵抗があるのではないか?
それが真実だとすると、正確な答えの無いことの答えを自分自身で導いて行くなんてあり得ないし、そんなことに取り組む必要性を感じていない結果として、晩婚化や生涯シングルと言う現象が顕著になっているのではないかと私は勝手に解釈しています。
加えて、ポストコロナの世界は従来とは大きく変わると言われています。私もそう思っています。しかも、誰も経験をしてきていない事ですから、誰も答えを持ち合わせていない。そうなると、答えの無いことに慣れていない世代はどうしたらいいのか分からなくなってしまうのでは?
当然、「恋愛」を授業に入れて欲しいなどとは言いませんが、出来ることなら、ポストコロナの教育は、必ず答えのある勉強と同じくらいの比率で、「答えは無限大にある。」「だから答えは自分で導き出して行けばいい!!」と、そんな教育もして欲しいと強く思っています。
私が言うまでも無く、偉い人が考えているとは思いますが、急に心配になってしまって・・・。
失礼しました。
以上です。