娘「お父さん、この人すっごく怒ってるね。」
私「確かに凄いし、酷いなー。」
昨日、明石市長が以前に部下を叱責する際に放った暴言がボイスレコーダーに残っており、それが公開され大きな問題になっていました。
いつものことですが、私は、この「燃やしてしまえ!!」と言い放った市長を擁護するつもりはありませんが、前後のやり取りをしっかり聞いていると、あながちただの悪者で無いことに気付きます。
そういう意味では、その人がやらかしてしまった、一部分だけの失敗を切り取り大悪人に仕立てる「一億総文春(新潮)社会」を象徴するような問題だと感じています。
以下、「燃やしてしまえ!!」発言のあった場面のやり取りを最後まで聞いていると、
市長「とにかく今月中に頭下げて説得して判付いてもうてください。あと1軒だけです。ここは人が死にました。角で女性が死んで、それがきっかけでこの事業は進んでいます。そんな中でぜひご協力いただきたい、と。」
「ほんまに何のためにやっとる工事や、安全対策でしょ。あっこの角で人が巻き込まれて死んだわけでしょ。だから拡幅するんでしょ。」「2人(担当者)が行って難しければ、私が行きますけど。私が行って土下座でもしますわ。」「市民の安全のためやろ、腹立ってんのわ。何を仕事してんねん。しんどい仕事やから尊い、相手がややこしいから美しいんですよ。」「後回しにしてどないすんねん、一番しんどい仕事からせえよ。市民の安全のためやないか。言いたいのはそれや。そのためにしんどい仕事するんや、役所は。」と。
いかなる言い訳をしても「燃やしてしまえ!!」は許されることではありません。しかし、その人間性を広く社会に問うのであれば、前記の部分も「燃やしてしまえ!!」と同じように平等に公開するべきだと思います。また、公開される我々も、面倒ではありますが、すべての事の成り行きを理解する中でその判断しなければなりません。とにかく面倒ですが。
娘「この怒ってる人、関西の人だよね?」
私「なんで分かるの?」
娘「だって、そういう言葉だもん。」
私「関西弁わかるのか、凄いなー。」
私「なんで怒っているのかわかる?」
娘「わかんないー。」「でも、よっぽどのことがあったんだろーねー。」
私「プッ。」「そうだな、よっぽどのことだったんだろうな。」
以上です。