いきなりですが、おそらくほとんどの方はアンダーウェア、要するに下着を身に着けていると思います。
さて、このたびこの下着の歴史に興味を持ってしまった56歳です。
そこで、いつものように調べて見ました。
日本人が今のスタイルの下着を身に着けるようになった歴史はかなり浅いことが分かりました。
明治維新後、服装が洋風化されて来たのはご存知かと思いますが、もちろん庶民の主流は和装です。しかし、洋装をする階級の女性たちの中で今の下着の原型であるズロースを着けたのが最初のようです。しかし、それはほんの一部の人のことで、男性はふんどしのまま、一般女性も腰巻のようなものを着用するかノーパンが主流だったようです。
しかし、その後起きた大きな災害によって、下着の着用を推進するようになったのです。その災害とは1923年(大正12年)に発生した関東大震災です。この時に被災した多くの女性の遺体を調査すると、避難時に和服の不便さによって逃げ遅れた可能性があることが分かりました。このことを機に政府と生活改善同盟会が「外出時には洋服とズロースを!」と言うスローガンを打ち出したようです。しかし、完全な脱和服と下着の着用とまでは至らなかったようです。
ところが、日本人女性に下着をはかせる決定的な事件が起きました。
それが白木屋火災事件です。
1932年(昭和7年)、日本橋にあった白木屋(現在の東急百貨店)で起きた火災では、消防が救助に駆けつけたものの14名の女性が命を落としてしまいました。そのうち何名かは救助されること自体を躊躇したために焼死・墜落死してしまったと言うのです。で、その躊躇の理由が、着物を着ていたので、綱で降りても救命ネットに飛び降りても着物がめくれ上がってしまう事を嫌がったからだと言うことが分かりました。
この火災事件以降、白木屋では女性店員にズロースを身に着けることが義務付けられ、国内でも「パンツをはきましょう!」と言う運動が起き、その後は徐々にではあったもののファッション意識の高まりと高度経済成長と共に自然の流れで下着を着用するのが当たり前になって行きました。
それにしても、今のかたちの下着が普及するきっかけが、災害だったと言うのには驚きました。
因みに、日本人で初めて女性用の下着を手に取ったのは、豊臣秀吉だと言われています。この下着は、南蛮貿易(安土・桃山時代)においてポルトガル船の荷物の中に入っていたものだそうです。
秀吉も、「なんじゃこれ!?」と思ったでしょうね。
以上です。