いきなりですが、過日、とても嬉しい報告がありました。
というのも、野球ファンならご存知の方も多いかも知れませんが、1987年の高校野球は、帝京高校の芝草宇宙投手と常総学院の島田直也投手が甲子園を沸かしていました。
ONは別格として、野球選手がイニシャルで呼ばれたのは、あのPL学園の桑田氏、清原氏のKKコンビ以来のこと。その年のドラフト会議で、芝草投手と島田投手(ドラフト外)は日本ハムファイターズに入団したのですが、そこでKK以来、二人のイニシャルを取ってSSコンビと呼ばれていたのを覚えています。
当時、日本ハムでスカウト部長をしていた、私の大先輩である、三澤今朝治氏によると、特に女性ファンからの人気が凄まじく、多摩川の河川敷にあった日本ハムのファーム球場には、連日若い女性が殺到。日本ハムファイターズ始まって以来の大フィーバーだったようです。
時は流れ、2006年、我が信濃グランセローズが設立されたのですが、この初代ピッチングコーチが、このS Sコンビの一人、島田直也氏だったのです。
無口でぶっきら棒のように見えますが、熱心なコーチングは光るものがありました。また、選手と年齢が近いこともあり、技術の他にも仲間目線で、選手の拠り所にもなっていました。
その後は、やはり同じ独立リーグ四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスでは、監督として独立リーグ日本一を達成しながら、選手をNPB送り込みました。
その手腕が横浜DENAベイスターズの目に止まり、2軍投手コーチなどを歴任していました。
そこで、過日の連絡です。
島田「飯島さん、報告があります。」
私「おっ、直也、どうした?」
私「まさか、クビか?」
島田「いやいや、違うんです。」
11月から1月の初旬にプロ野球関係者から電話が来るとドキッとします。
ようは、この時期に解雇とかの報告が多いからなのです。
私「どうした?」
島田「実は、母校から声を掛けて頂き、コーチに就任することになりまりました。」
私「そりゃ、良かったじゃないか!」
私「給与は?」
島田「納得しています。」
と、彼にしては、珍しく昂った声で報告してくれました。
母校の監督やコーチになることは、野球人としてはとても名誉なことです。
彼の人柄と手腕が認められたのですね。
アマチュアの世界に戻るわけですが、常総学院と茨城県大会から目が離せなくなりました。
嬉しい報告でした。おめでとう。
以上です。