いきなりですが、以前に「左貞」が当グループのルーツであることをお話した記憶があります。
当グループの創業は、記録では明治38年に遡ります。
創業とは言え、その頃は篠ノ井線、信越本線、また中央本線敷設のための土工事を、現在の西松建設さんの下請けの下請けの、また下請け辺りで、農閑期に近所の仲間を集めて土工事を手伝ったのが始まりのようです。
その後は、私の祖父とその兄弟が左官職人となり、今から62年前の昭和37年に左官業 株式会社飯島組を設立し、法人としてスタートさせました。
因みに、飯島組は、1965年に飯島建設株式会社が設立された時に分社化しましたが、現在も左官とタイル、そして土間工事を請け負う株式会社飯島組として営業をしておりますので、何卒ご愛顧のほどよろしくお願い致します。
さて、過日私が生まれた実家を解体する前に断捨離を行ったとお話ししました。
その際、出て来たのです。
なにが出て来たかと言うと、「左貞」のロゴが入った作業用の法被です。
飯島組の共同設立者は、私の祖父と父です。
祖父の名前が、貞治。そこで、父親が祖父を立てて「左官」の「貞治」と言うことで、ロゴマークが「左貞」になったと聞いています。
ただ、ご覧の通り、見つかった法被の襟文字には、「飯島左官社」と書かれているのです。と言うことは、昭和37年の法人化される前の法被と言うことになります。
更に、襟文字の上部には、「英」と「三日月」が描かれていますが、「英」は、祖父の弟が「英次」だったので英次さんが着用していた法被だと思われます。
では、三日月は?ということになりますが、月は三日月から満月へと形を変える事から、左官社のスタートとして、いつか満月になるのを祈ってロゴにしたのか?
これは、私の想像です。
それにしてもこの法被、私は初めて見ることができました。
法被を手に取った時、創業のルーツに思いを馳せ、実際心が震えました。
現在、法被はクリーニング中ですが、その後は額装して大切にして行こうと思っています。
以上です。