アメリカ出張報告はもう少しあるのですが、今日も別なお話を。
さて、以前に同郷で大学野球部後輩が、故郷への恩返しも含めて、我らが信濃グランセローズのスポンサーをしてくれることになったとお話ししたことがあると思います。
グランセローズは中々勝つことが出来ず、とても厳しい状況でした。そんな苦しい時に彼がスポンサーを決断してくれました。あの時、不覚にも後輩の目の前で、感動の涙を流したことを思い出します。
以来、ありがたいことに、毎年スポンサーを続けてくれています。この場をお借りして「本当に、ありがとう!!」
今年もシーズン前に彼の会社がある群馬県太田市にご挨拶に行こうと連絡を取ったのですが、今年は長野に来てくれることになり、昨夜はその彼と久しぶりに食事をしました。
昭和時代の話なので、今ではあり得ませんが、当時の大学野球部では、先輩の洗濯は後輩の仕事。もちろん私も下級生時代は、数名の先輩の洗濯を担当していました。昨夜は、私の初代洗濯係(スポンサーの彼)と彼の友人、そして、なんと私の2代目洗濯係も食事に参加。で、卒業から30年になりますが、お酒が入ると必ず出てくる同じ話しで、昨夜も大いに盛り上がりました。
その話とは、当時の洗濯にまつわる話し。初代洗濯係は、抜群とはいえませんが、それでもまだまともでした。私が4年生になると、私が3年生の1年間努めてくれた初代洗濯係から、やはり同郷の1年生に洗濯係が交代です。初代からいろいろと引継ぎがあったはずですが、この2代目はとにかく酷かった。
洗濯物は、主に、ユニフォーム上下、アンダーシャツ、ソックス、ストッキング、そしてスライディングパンツとなりますが、私は、4年生でキャプテン。リーグ戦の試合ごとにソックスは支給されますし、ユニフォームもアンダーシャツもそれなりにリザーブは持っていた方です。しかしです。それが無いのです。いつもその日の1式くらいしか揃っていないのです。毎朝、毎朝2代目洗濯係を呼んでは、「あれが無い、これが無い。」と言わなければならないので、もう、大変です。初代を呼んで、「もう一度お前がやれ!!」言ったこともあったと思いますが、それほど2代目は酷かった。
まずは、洗濯係が交代して直ぐの練習中のこと。なぜか体が「ぬるぬる」してくるのです。「え?」「まさか???」そうです。この2代目は、洗濯に「すすぎ」があることを知らなかったのです。洗剤が残ったまま干していますから、汗を掻いて来ると、当然体は「ぬるぬる」です。まだあります。2代目のポジションは投手です。来る日も来る日も打撃投手です。これは、本当によく頑張りました。投手ですから、打撃投手が終わると、アンダーシャツを着替えます。ある日、その着替えの場にたまたま居合わせると、2代目が着ているアンダーシャツは、着替えも含めて私の物です。胸にしっかりと「Meiji IIJIMA」と書いてあるのです。更に、ストッキング。2代目が私に渡すストッキングは、既にストッパー代わりのゴムが伸びきってしまったような古めかしいストッキング。しかし、2代目の履いているストッキングは、真新しい私のストッキング。
これでは・・・、私のが無いはずです。
と、まあ、集まると30年間も同じ洗濯の話をしているという長いお話でした。
以上です。