いきなりですが、最近の世の中の流れに危機感を持っています。
と言うのも、抽象的な言い方で申し訳ないのですが、要は「本質的な理解をしていないのに、それを個性として認めてしまう。」そんな場面が多すぎる気がするのです。
例えば、服装や髪型などはその人の個性でしょう。しかし、これだって少し前までは、「なんだその髪型は!!」とか「場をわきまえた服装をしろ!!」などとののしられ、個性としては認めて貰えませんでした。まあ、これは昭和の話です。
今の時代ですから服装や髪型を個性とするのは全く問題無いと思います。ただどうでしょう。人として、社会として、そして常識として「そこは認めてはならないだろう。」と感じることまでもが個性の範囲に収まってしまっているような気がしてならないのです。私は、その辺に危うさを感じています。
当たり前のことですが、令和の世の中であっても犯罪などはいかなる理由があろうと、その行為は個性になりえません。では、何を指して「認めてはならないこと。」なのか?すみませんが、敢えて具体的には書きませんと言うか書けません。ただ、言えるのは、ダイバシティだとか、SDGsなどに代表されるような社会性を重んじる世の中の流れを笠に着て、本質的に認めてはならないことまでも理解することが正しいような雰囲気が漂う。そんな風潮の世の中にいて、「それは違うだろう?」と感じながらも理解しようとしている自分もいる。
一体何が言いたいのか?と思われるでしょう。しかし、ここで具体的なことを書くと、そんなつもりは毛頭ないのに、「それは差別だ!」とか「時代にマッチしていない!!」とか言われてしまうので、しっかりと表現できずに申し訳ありませんでした。
でも、そんな世の中の雰囲気に強い危機感を持ってしまいました。
失礼しました。
以上です。