いきなり私らしからぬ表題で失礼しました。
と言うのも、過日ある方のリモート講演でとても興味深いお話しをお聞きしたのです。
その話は18世紀後半にイギリスで起こった「産業革命」から始まりました。全体の内容は「働き方改革」や「ポストコロナ経済」が中心だったのですが、話の中でイギリスで起こった「産業革命」と「アヘン戦争」の関連性についての話が出てきたのです。
もちろん歴史に詳しい方はご存知だと思いますが、私は知らなかったのでご紹介したいと思います。
「産業革命」により、イギリスでは製造業を中心に飛躍的に生産性が伸びて行くことになります。そうなると何が起こるか、昭和初期の日本でも「月月火水木金金」などと、土日も無く休日も返上して働くことを尊いと言うか揶揄した歌が流行ったようですが、当時のイギリスはとにかく旺盛な需要がありますから、工場は常にフル稼働。従って労働者は休むことなく働き続けることによって会社の利益も個人の所得もこれまた飛躍的に上がる状況にあったのは当然のことでしょう。
そんな中、過酷な長時間労働に耐えるために生まれた物があったそうです。
それはいったいなにか?それは、長時間労働に耐えうる、講演者の言葉を借りると「気付け薬」で、その「気付け薬」とは、なんと大量の砂糖を入れた「紅茶」だったそうです。
18世紀中期のイギリスにおいて、紅茶は高貴な人たちの飲み物でした。しかし産業革命前後には一般にも広がり、まさに国民の飲み物になって行きました。一般に広めた最大の要因は、当時の清国(中国)からの大量輸入。「産業革命」による長時間労働によって茶の輸入がますます増加して行きます。しかし、清国では茶の対価であるイギリスの綿製品は高貴な人たちにしか売れず、ここに貿易の不均衡が生じます。当時の貿易ルールでは、物の輸出入で出た差額は銀で支払うことになっており、結果、大量の銀がイギリスから清国に流出していきました。
そこで、イギリスは清国から銀の回収をはかるため、清国内のアヘン吸飲の習慣に目をつけ、19世紀初めからイギリスの植民地のインドで栽培したアヘンを清国へ、清国の茶などをイギリスへ、イギリスの綿織物などをインドへと運ぶ三角貿易をはじめたのです。
それにしても、ずるいことを考えたものです。
その結果、アヘンの対価としては、茶だけでは足りず、今度は逆に清国はその差額を銀で支払うことで大量の銀が流出するようになります。銀の大量流出は銀の価値を暴騰させて清国の経済は大混乱ですから、清国も黙ってはいられません。清国において、そもそもアヘンの使用は禁止されていましたから、清国は広州でアヘンを没収し廃棄させ、アヘン貿易を厳禁しました。この清国の態度に反発したイギリスは、1840年にアヘン戦争をおこしたのです。
アヘン戦争の結果は皆さんご存知の通りですね。
と言うことで、アヘン戦争勃発は、「産業革命」で生じた長時間労働による疲労緩和のために飲んだ、砂糖入りの紅茶にも一因があったと言うお話です。
「事実は小説より奇なり」ですね。
長々と失礼しました。
以上です。