男が「男」であることの条件のひとつは、その男が、男としての彼自身のお伽話を、何かひとつ、どんな大それたものでもいい、人に見せても見せなくても、他人に語っても語らなくても、心に持っているかどうかということだ。
そして、それをやる意志があるかどうか、ということではないか。
「男について」などと書くと、今の世の中批判の的になるかも知れませんが敢えて書かせて頂きました。
と言うのも、上のコラムは昨日急逝した石原慎太郎さんがしたためたものです。遥か昔、ある雑誌で読んだ記憶があり、テーマとしてこの「男について」の他に、「日本人であるということ」「人間について」「恋愛について」「仕事について」「家族について」等々、それぞれのテーマごとに石原慎太郎さんが石原慎太郎さんらしく語っていました。
このコラムを目にしたのは、私がまだ30代の前半だったと思います。
中でも、上の「男について」が印象に残り、私としては珍しく雑誌からそのままワープロで起こして書きとめてあったのです。
昨日の訃報を聞いて思い出し、古いデータの中から引っ張りだして見ました。
「自分自身のお伽話」って作家らしいロマンに溢れた言葉ですね。
「自分自身のお伽話」を実行する意思があるか?
・・・。
再度考えます。
合掌