いきなりですが、あの「兆人」、村田兆治さんがご逝去されました。
とても残念です。
さて、村田兆治さんとのご縁は、2008年4月29日、長野オリンピックスタジアムにて開催された我らが信濃グランセローズのホーム開幕戦の始球式を引き受けて下さったことに始まります。
その時、前日の食事会で、伝家の宝刀であるフォークボールの投げ方の質問をすると、30分ほどかけて、お店に置いてあった灰皿を人差し指と中指に挟みながら丁寧に説明して下さいました。
また、始球式当日は入念なウォーミングアップをされました。当初室内練習場で練習していたのですが、屋外にブルペンがあることを知ると、その方が盛り上がるからと、外のブルペンで投球練習を開始。もちろんブルペンには人だかりができました。お客さんが喜ぶことを分かっていました。
余談ですが、その日キャッチボールの相手をつとめた、明治大学野球部出身の当社T課長は村田さんのフォークボールを取り損ねて骨折しました。
始球式では、打席に立つバッターになにやらヒソヒソ。要は、「打ってもいいよ。」と声を掛けられていたのです。
村田さんが放った140㎞近いストレートを、バッターがファールしたのを鮮明に覚えています。
まあ、これにも驚きました。
始球式終了後は、NHKの中継があった為、その解説もして頂きました。
帰京される際は、試合が延びて新幹線の時間がギリギリになってしまいました。
しかし、そんな中でもスポンサーさんへの色紙を依頼すると、この色紙ももの凄く丁寧に書き始めました。色紙には「挑戦」と書かれていましたが、この1枚の色紙の完成まで5分ほど掛かりました。もうこっちは、新幹線の時間があるのでハラハラドキドキですが、決して手を抜きませんでした。
村田兆治さんの実直な人間性が表れたエピソードです。
「兆人」のご冥福を謹んでお祈りいたします。
合掌