いきなりですが、あるご家族がこのたび「長野を終う」ことにあたり、そのお手伝いをさせて頂きました。
さて、その「長野を終う」家族の代表は、私の30年来の友人です。
お父さんは既に他界され、お母さんは長野を離れて子供たちの住む首都圏で暮らしています。
彼も現在は首都圏に居を構え、もう長野に戻ることはありません。
そこで、両親が建てた長野市にある実家を売却したいと相談を受けました。
良い場所だったので話はとんとん拍子に進みました。この土地を気に入ってくれた方もとても素晴らしい方で、彼もなんの異存もなく売却の決断をしました。
既存建物の解体工事も無事終わり、いよいよ土地の引き渡しの日が近づきました。そんな中忙しい彼ですが、おそらくこれが見納めになるだろうと、長野にやって来ました。
その日は、久しぶりに食事をしようと言うことになっていました。
食事がはじまり彼が話し始めます。
「親父もおふくろも、長野には縁もゆかりもない中で仕事の関係で長野にやって来た。」「なので、長野には親戚は一人もいなかった。」「そして俺も姉も長野で生まれた。」「なんの所縁もない長野で、親父たちは苦労しながらもあの家をつくり、俺たちを育て、大好きになった長野でその生涯を閉じた。」「今日、あの土地を2時間見て来たよ。」「これで本当に長野と縁が無くなる。」「言っておくけど、今回の件は本当に感謝している。」「ありがとう。」と。
少し涙ぐんでたかなー。
そう、「Family history」ですね。
この仕事をさせて頂いていると、このように「長野を終う」お手伝いをすることがあります。
彼の話を聞いていて、これからそのような方々に対する寄り添い方が深くなっていく気がします。
一生懸命お手伝いをさせて頂きます。
以上です。