過日、なんだか聴きたい衝動に駆られて、かなり久し振りに車の中でラジオを聴いて見ました。
ラジオからは、松任谷由実さんの「埠頭を渡る風」が流れてきたのですが、これまた超久しぶりで、遥か昔の甘酸っぱい記憶(←死語?)が蘇りました。
さて、始めて「埠頭を渡る風」を聴いたのは、中学生の頃だったでしょうか。私には姉が二人いますので、普段耳に入って来る歌は、姉達が聴いていたものが圧倒的多く、当時の男子中学生の中で流行していた歌よりも、少し年上の女子が聴いていた歌の方が強く記憶に残っているのです。「埠頭を渡る風」はまさにそのど真ん中であり、ノスタルジアを覚えます。
「もうそれ以上―♬ もうそれ以上―♬」
「やさしくなんて♬ しなくていいのーよー♬」
「いつでーもー♬ 強がーるー姿ー♬ うそになるー♬」
これは「埠頭を渡る風」のサビの部分の歌詞です。なんだか心が駆り立てられるような気持になる曲と歌詞ですよね。
で、初めてこの「埠頭を渡る風」に出会った時から、15年ほどの歳月が過ぎた私が社会人になった頃です。この歌詞の「もうそれ以上」は「もうそれ以上」あって、「Mosoresion」では無いことに気がついたのです。
ある時、歌番組の歌詞テロップで偶然にも「埠頭を渡る風」の歌詞を見る機会がありました。それまで歌詞など文字として見たことも無かったので、頭の中で勝手に、
「Mosoresion ♬ Mosoresion ♬」
「やさしくなんて♬ しなくていいのーよー♬」
「いつでーもー♬ 強がーるー姿ー♬ うそになるー♬」
だと思っていたのです。
もちろん、「Mosoresion」などと言う英単語は世の中に存在しないのですが、私の中では日本語にすると、「哀れみの優しさなどいらないの。」みたいな意味なんだろうなと解釈し15年間を過ごしていました。ただ、中学生野球男子としては中々の感性だった気がしています。(笑)
で、皆さんは「so what !」って感じですかね。
失礼しました。
以上です。